L e t t e r


Letter ・・・


〜もしもこの世の中にタイムマシーンがあったのなら
 君は一体どちらに行くのかな?
 まだ見ぬ希望ある未来? それとも変わることの無い美しい過去?
 えっ 僕はどっちに行くかだって? 
 僕はどっちにも行かないよ だって僕は未来でも無く 過去でも無く
 目の前の君のこの手を触れることの出来る今と言うこの瞬間が
                         とっても好きなのだから・・・〜

著者  斉藤 和彦


Letter
(〜S[〜Z])@文字 A手紙、書簡 B(〜S)文学、学問 C(The〜)
文字どおりの意味、字義(→spirit)He keeps to the lettter of the law
彼は(法の精神を生かすより)法律の条文どおり履行する D(しばしば〜S)
証書、(免許状など公式の)書状 by letter〈副〉手紙で to the letter〈副〉
正確に、文字どおりに

 Letter、辞書には色々なレターがある。そして何よりもLove letter
(恋文、そして愛の告白)と言うレターも、この世の中には確かに存在をしていた。
 勿論辞書で調べればLetterの意味、そして答えは載っていた。けれどナポレオン
の辞書の様に不可能と言う文字が無い限り、その本当の意味、そしてその本当の
答えなど世界中のどの辞書を読んでもきっと無いのだろう。

Letter それは口に出して言えない気持ち
Letter それは小さく可愛らしい文字
Letter それは涙で滲んだ青いインク

 言葉はいつだって風の様にその場を通り過ぎて行った。けれどLetterはあの頃の
思い出の様に、美しいまま色あせ無いで、いつまでも僕の隣にあった・・・ 

〜ねえ僕は君の為に、花の首飾りをプレゼントたいんだ
 だから僕に花の首飾りの作り方を教えてくれないか? 
 ねえ僕は君の為に素敵な詩を書きたいんだ
 だから僕に素敵な言葉を教えてくれないか?
 ねえ僕は君の為にラブレターを送りたいんだ
 だから僕にどうか本当の愛の意味を教えてくれませんか?〜

 僕は誰もが横目で見て、そして鼻で笑われる様な中小企業、いや限りなく個人
商店に近い家電メーカーの代理店に勤めていた。勿論この不景気の中、倒産なん
て言葉はいつも隣合わせにあった。
 実際社長は月末に成ると殆ど会社には居なく、集金活動に精を出していた。
そしてこの前出た社内の一次通告には、残業代を大幅にカットすると言う、一方的
な会社の通告が出たばかりだった。勿論この先に希望なんて無かった、けれどそれ
以上に辞める勇気なんものはもっと無かった。
 元々僕は一年前までは世間で言えばそれなりの企業に勤めていた。勿論それは
過去の話であり、現在の話では無い。けれど一年前は確かにその企業に居た。
 僕は大学を出てその企業に入った。けれど聞こえこそ良いものの、中身は外見ほ
どいいものでは無かった。入社直後の福井の支店に配属。元々東京育ちのもやし
っ子の僕が田舎生活に耐えられるのかどうか心配はあった。けれど人事部の三年
もすれば東京に戻れると思うよ、と言う言葉一つで僕は全てを捨てて何もない福井
に行くことになった。勿論入社の条件にそんな話は無かったので、僕としては話が
違うと抗議する事だって出来た。けれど実際にはそれは出来ない事だった。何故な
ら僕には選択の余地なんてこれっぽちも無ったんだ。大学在学中に受けた七社の
面接の結果、内定が貰えたのはたったの一つ。それがその企業だった。だから必
然的に僕はその会社の言いなりに成るしか他に道は無い。けれど今思うとそれは
大きな誤算と、大きな損失だった。
 まず大きな誤算は、三年もすれば東京に戻ってこれるよと言う言葉だった。
 確かに三年後に人事異動があった。けれどその異動先は僕が希望した東京では
無く、それを遙か通り越した北にある秋田支社だった。一体何処でどう狂ったのだろ
う、僕は何度となく第一希望を東京と書いた。けれど企業が出したその答えとやら
は、東京では無く、秋田だった。そして人事部長も慰めの言葉なのだろう。
「秋田も結構いいぞ。雪景色は綺麗だし、それに何と言っても食べ物がうまい。それ
に住めば都って言うしなあ」と言う、人ごとな慰めを言う。勿論秋田には秋田なりの
良いところがあるのだろう。けれど僕にはその秋田を受け止める事は出来なかっ
た。それは三年間と言う我慢の限界だったのかもしれない、そしてそれは三年前に
全てを捨てて福井に行った事なのかもしれない、それは今の僕には分からない事
だった。けれど一つだけ分かることはこれが我慢の限界だったと言う事だけだった。
 その頃東京で働いている友達の話では、東京は働き口が沢山あるぞと言う言葉
を僕は聞いていた。だから僕はその言葉だけを頼りに会社を辞めた。そして三年ぶ
りに東京に戻る事が出来た。
やっぱりあの東京を出る時と同じ様に全てを捨てて・・。
 三年ぶりに見る東京、それは懐かしくもあり寂し過ぎてもあった。勿論実家は東京
にあったので年に一、二度は戻って来ていたし、それに帰る家もあった。
けれどあの時捨てたモノはもう拾う事は出来ないし、壊れたガラスの破片は壊れた
ままで、元に戻ることはかった。僕はそんな虚無感にかられながらも、目先の新しい
モノを拾い始めた。
 まず僕がした事は職探しだった。友達は確かに言っていた、「東京は働き口が
沢山あるぞ」と。けれど実際の東京と言う街は友達が言っていた様な甘いものでは
なく、田舎暮らしに耐えきれずに逃げ帰って来た僕には冷たいものだった。
僕は幾つかの面接を受けたが全て落ちた。理由は至って簡単な事だった。
この不景気の中、移動が嫌で会社を三年で辞める男を雇う奇特な企業なんてある
わけが無いと言う事だ。もしあるとすれば移動の無い中小企業か、慈善事業位のも
のなんだ。僕は仕方なく友達に頼んで、その友達の会社の下請け会社、丸山商事
に就職させてもらった。そしてそれが今僕の勤めている会社だった。
僕はその会社の規模に不満があるわけでは無いし、それにその中でもそれなりの
いい事もあった。けれど僕には四年前東京を捨てた時に失った、いや捨ててしまっ
たモノがあっただけだった。そしてそれが僕の大きな損失だった。
 それはそれまでに付き合っていた彼女との遠距離恋愛に耐えきれずに別れてしま
った事にあった。勿論今思えばそれは大きな損失だったのかもしれない、けれどあ
の時は二人と もその距離に耐えられなかったと言うことも事実だった。だからそれ
は必然的な事であり、後悔と言うものではなかった。なのにそれからの毎日には僕
の中では何かが足りない、もしくは何かの穴が埋まらないそんな気持ちだけがいつ
までも続いていた。そしてある日それは突然僕の前に現れた。
たった一通の手紙によって。

 その日僕はいつもの様に仕事を切り上げて、家路に向かっていた。勿論一人暮
らしをしていた僕にとって、温かいシチュウを作って家で待ってくれている人なんて居
なかった。
だからと言う訳では無いが何となく早く家に帰りたいと言う気持ちは無かった。
 勿論今の暮らしに不満がある訳では無い。一応こんな僕を雇ってくれていた会社
もあったし、そこで出会った三沢広子と言う彼女も居た。確かに見た目はそれ程
美人と言うものでは無かったが、それは僕とて同じ事、それ程魅力的で無い僕に
好意を寄せてくれているのだから、僕としては何一つ不満なんて言えるものでは
無かった。けれど付き合い初めは半同棲生活に近かった仲も、今ではお互いに
距離を置く様に成った。それはどちらが言い出した訳でも無く、自然とそう言う形
になっただけの事で、もしかすると初めからそうなるものだったのかもしれない。
その答えは頭の奥には何となく分かっているはずなのに、言葉になって出て来ては
くれない。だからこそ形上彼女と彼氏と言う形には成っていたが、何となく素直に
それを受け止める事が出来ないのも事実だった。一体何故だろう、けれどその答
えは分からない、なのに何となくそれを素直に受け止められない、ただそれだけの
事だった。
 僕は家路に向かうなか、そんな事を考えていた。そしてその答えが見つかった
のは、僕のマンションの郵便ポストの中にあった。
 僕はいつもの様に自分の郵便ポストに手を突っ込んだ。始めに僕の目に留まっ
たのは引っ越し業者のチラシだった。昔の僕ならば転勤の心配をしなければいけ
なかったので、そんなチラシも必要なものだったのかもしれない。けれど今の職場
に変わってからはその心配は無かった。なんせ転勤どころか、支店すら無い今の
会社じゃ潰れる心配はあっても、移動の心配は無かった。だから僕はその引っ越
し業者のチラシを丸めた。そして次に目にしたのは、おしながきと書かれた近所の
定食屋の出前表だった。
 これで五度目だった、その必要以上に大きく、そして黄色い厚紙に書かれた
出前表を見るのは。一体何度置いていけば気が済むのだろう、ここ一年間の間
で僕がこの店に出前を頼んだ覚えは一度もない、なのに何故懲りずに何度も
何度も僕のポストに入れるんだ。勿論僕だけのポストに入れているわけでは無い
のかもしれない、けれど僕にしてみればこれこそ資源の無駄遣いと言うものなんだ。
僕はうんざりしながらもその出前表をポストから取りだした。その時その拍子で何か
一枚の封筒がポトリと床に落ちた。僕はその見覚えの無い封筒を何気なく拾った。
まさかたった一枚のその封筒がこれからの僕の人生を変えるとは知らないまま
に・・・。
 その封筒は良く見れば、中身を確認しなくても内容が分かるものだった。表紙には
僕の名前、遠藤和幸様と丁寧な字で書かれていた。そして裏を見れば佐々木
信雄、そしてその見知らぬ男の名前の横に並ぶ様に、長村幸子と同じ丁寧な字
で書かれていた。
 長村幸子、彼女こそ四年前に付き合っていた彼女だった。
 勿論中身は読まなくても分かっていた。彼女は僕との約束を果たしただけの事だ
った。 あの時の光景は今でも目を瞑れば、それに手が届きそうな程近くにあった。
 僕らはクリスマスイブの夜に別れたんだ。ランドマークタワーの中の大きなクリスマ
スツリーの前で。
 そして僕は彼女に言った。
「最後くらい笑い合おうよ」
 その頃の僕らは半年近くの間で会える数は片手で余る程だった。それも僕の仕事
の都合で東京の近くに来た時の、それも仕事の合間をぬってだったので、いつでも
寂しさの中に居た。会っている時も別れの事がすぐ先にあったので、その限られた
安らぎの時も素直に安心出来なかった。だから必然的に僕がそうであった様に、
彼女も心から笑い合う事が出来なかった。
彼女は涙ぐみながらも小さな声で言った 。
「うん、そうだね」
 そして僕らは寂しい日々、そして僕らの恋愛の最後の写真を、その天にも届きそう
な程大きなクリスマスツリーをバックに撮った。僕はいまにも壊れそうな程のせつな
い笑顔、 そして彼女は目に涙をためて無理矢理作った笑顔、それが僕らの最後
の笑顔だった。
そして最後の最後に僕は彼女に言った。
「こんな事言えたぎりじゃ無いけど、僕なんかより君の事を大切にしてくれる人を見
つけるんだぞ。俺達嫌いに成って別れるんじゃ無いんだから今以上に幸せに成らな
くちゃ意味が無いんだぞ。俺は成る、だから君も絶対に幸せに成ると約束してくれ。
いいな」
 そして彼女は今にも泣き崩れそうな小さな体で「うん」と小さく頷いた。そしてそれが
僕らが交わした最後の約束だった。
 きっと彼女はその僕との約束を果たしたのだろう。佐々木信雄と言う名前は僕の
知らない男だったが、けれどきっと彼女を幸せに出来る男に違いない。
あの時の僕、そしてあの時より更に情けなく成った今の僕なんかよりも。
僕は複雑な思いでその封筒を開けた。
 中身は案の定結婚式の招待状だった。十二月二十日に品川プリンスで十二時
から行われると言う内容のものが書かれていた。でも一体彼女は何の為に僕に
こんな招待状を送って来たのだろうか? あれから四年と言う間、僕は彼女と一度
も会って居ない。勿論僕があれからどうなって、今どこに居るかなんて事は大学の
友達伝いに聞けばすぐに分かる事だった。けれど何故彼女は僕に、それも結婚式
の招待状を送って来たのだろう。確かに僕らはあれから恋人では無くなった。
単純に言えば、その過去と言う確実なモノがこの世の中に存在しなければ、
あるいはただの大学の男友達としてだって成り立つのかもしれない。
けれど、だった、と言う過去形がこの世の中に存在する限り、今はどうであれ僕は
れっきとした彼女の元恋人であり、僕らは恋人同士だった。それは消すことの出来
ない事実だ。そんな僕が何処の誰とも知らない旦那に成る人との結婚式に、
何事も無かった様に行けるわけがない。なのに彼女は一体何故僕に招待状を
送って来たのだろう。その答えはやはり封筒の中にあった。封筒の中には一枚の
きれいな厚紙に書かれた結婚式の案内と往復用のハガキが一枚と、そして一通
の手紙が一枚入っていた。僕はその最後の一枚の手紙を読んだ。

 和幸へ
四年ぶりですね、あのクリスマスツリーの前で別れてから。今思えば四年なんて
あっと言う間の様に感じます。けれどあの頃の私たちは四年、いや三年すら待て
なかったなんて思うと、とても情けなかったと感じます。けれどあの頃は若かったせ
いでしょうか、本当に私には辛い事だったのです。今二十七歳に成ると色々な
事が見えて来て、愛だ恋だと言う事ばかり言ってられないのですが、あの頃の二十
三歳の私にとっては愛が全てだったのです。お金なんて無くてもいい、綺麗な洋服
なんて無くてもいい、ただ好きな人がそばにいて、そして二人で笑い合って居られ
ればそれだけで良かったんです。本当にそれだけ良かったんです。けれど不思議な
ものですね、この四年間と言う月日は私を色々な意味で大きく変えました。
今だから話しますけれど、一年前和幸が東京に帰って来た事を良江から聞いて、
私は思わずあなたに電話を掛けていたのです。実を言うとその頃私はまだ今の
婚約者からお付き合いして欲しいと言われてはいたけれど、返事(答え)を出して
いなかったのです。それどころか和幸との恋の結末にも、だからもしかしたらと思っ
て電話を掛けたんです。けれど電話に出たのは可愛い声をした女の子でした。
馬鹿ですね。変わって無いのは私だけだったのに。こんな事を書いてごめんなさ
い。 けれど最後の手紙なので私の全てを話しておきたいのです。そして私は今
の人とお付き合いをする事にしました。今の人は佐々木さんと言う方で、私よりも
五つ年上のとても優しい方です。そして十二月二十日に私たちは結婚します。
勿論和幸が来づらい事は分かります。けれど報告だけはしたかったので、
招待状を送りました。
PS
私は和幸との約束果たしましたよ。今度は和幸が果たす番ですね。私は和幸が
幸せに成ってくれることだけを祈ります。                     長村 幸子

 僕はそれを読み終えた。確かにそれを読み終えた。けれどそれは僕の中では
終えることが出来ないものだった。確かに彼女はこの手紙に全てを書き、そして
全てのものに答えを出していた。けれどその節々には簡単にハイそうですかと言う
ふうに終わらせられないモノも含まれている。一年前の電話の事、僕にはもしかした
らと言うものがあった。それは確かに一年前に僕と今の彼女広子と半同棲生活を
している頃だった。
 その頃の広子にはプライドや僕に対しての不信感でもあったのだろうか?
 僕の家の電話に勝手に出る癖があった。僕は勿論そんな事をされては困って
しまうので、何度となく彼女に勝手に電話に出るのは辞めてくれと頼んだ事が
あった。 けれど彼女は「別にやましい事無いんでしょ? だったら電話位いいじゃ
ない」 と辞めようとはしなかった。僕が「もし電話の主が会社の人だったらどうする
んだ?」 と言っても、「あなたまさか会社の人達が私たちの事知らないとでも思って
いるの? あんな小さな会社じゃすぐにばれてるわよ」と言い返すだけ。僕はそんな
所が好きじゃ無かったのかもしれない、もしそうなら一年後に今の二人の距離に
納得出来る。 けれど一年前の彼女は確かに人の電話に勝手に出る女の子
だった。 そして僕らがそんな暮らしを初めて一月ぐらい経った頃だろうか、確かに
思い当たる電話が一本あった。その時もやはり彼女が僕より先に電話に出た。
「もしもし・・・・。もしもし・・・・。もしもーし・・・?」
 彼女は何度も電話に向かってもしもしを繰り返していた。僕は気になり彼女が
握りしめている受話器を取り上げて耳元にあててみた。
その時一瞬何かが聞こえた。
「ごめんなさい、マチガエマシタ・・・・ガチャン・・・・プー・プー・プー・・・・」 
その声は今でも耳に残っていた。
「ごめんなさい、マチガエマシタ」「ごめんなさい、マヨッテマシタ」「ごめんなさい、
やっとワスレラレマス・・・・・やっとワスレラレマス・・・・・・・」
 もし僕があの時広子より先に電話に出てさえいれば、いやその声がすぐに幸子
の声だと言う事に気が付いてさえいれば、あるいは・・・・・。けれどそれは一年前
の事であり、 四年前に終わった事だった。しかしこの文面からすると一年前は彼女
の中では終わっていなかった事が分かる。それを思うと例えようの無い切なさが
残った。そして何より最後の私は和幸が幸せに成ってくれる事だけを祈っています、
と言う言葉だった。僕の幸せだけを祈っている? 僕の幸せだけ・・。
と言う事は彼女はどうなんだ? もしかしたら幸せじゃ無いのとでも言いたいのか?
その佐々木信雄と言う男は確かに優しいのかもしれない、けれど彼女がすぐに答え
を出さなかったと言う事はもしかすると・・・。けれどその答えは封筒の中を隅から
隅まで探したけれど見つからなかった。僕は仕方なく往復ハガキに一身上の都合で
欠席しますと書いた。本当なら一身上では無く、一心上と書きたいくらいだった。
けれど彼女の事を想うとそれは適切では無かった。きっと四年前のあの時、
僕以上に傷付き、そしてその悲しみを一年前まで背負っていた事を考えると、
とても僕の気持ちなんて虫けらの様に小さなモノにしか感じられなかった。
僕は彼女の手紙に書いてあった様に、僕にとっての最後の手紙をハガキに添えた。

 幸子へ 
四年ぶりなので何から書いて良いのか分からないけど、とりあえず結婚おめでとう。
君は僕から見て家庭的な女の子だから、きっと素敵な奥さんに成れると思うよ。
それと佐々木さんと言う方はどう言う人か知らないけれど、君の手紙の中では
優しい方との事で、本当に良かったと心から思います。ちなみに君が僕宛に書いた
手紙が最後の手紙だった様に、この手紙は僕から君に書く最後の手紙なので、
僕もきちっと説明します。 四年前別れた事、そして一年前の君からの電話の事、
それは君が馬鹿だった訳でも何でも無いことだけを言っておきたいのです。四年前
君と別れてから僕は君と同じようにずっとその事を引きずって生きていました。
そして一年前に僕は東京に帰って来ました。けれど全てを捨てて離れた東京は、
全て捨てて戻って来た僕にとってはとても厳しいものだったのです。人はきっと弱い
生き物なんだろうね、だから僕は遠くの高嶺の花よりも目先のワラにしがみついた
のかもしれない。きっと君が電話を掛けて来た時に電話に出た彼女は、君が電話
を掛けてくる二週間位前に付き合い始めた女性です。でも今思えば四年前に君と
別れた事と、そして今の彼女と付き合った事は僕にとって間違いだったのかもしれ
ません。 だから君が自分の事を馬鹿だったと思う事なんて何一つ無いのです。
もし馬鹿だったとしたのならばそれは君じゃ無くて、僕の方なのかもしれません。
けれど一年前が例えどうであれ、僕らは確かに四年前にあのクリスマスツリーの
前で別々の道を歩き始めました。そして君は自分の幸せという目的地に辿り着いた
のです。ある意味僕もこれで何となく新しい第一歩が踏み出せそうな気がやっと
出来ました。ちなみに僕は元気です。だから僕なんかよりも君こそ幸せをしっかり
つかみ、そしてその幸せを大切にして下さい。
PS
今まで捨てきれずにとって置いた写真がありました。けれどそれはもう僕には
必要無くなったので、この手紙と一緒に送ります。それでは体には十分気を付けて
下さい。さようなら・・・・。

 僕はその手紙と一緒に一枚の少しシワシワになった写真を封筒に入れた。
勿論それは僕が今まで肌身離さず持ち続けていた、あのクリスマスツリーの前
で撮った写真だった。 若い僕ら、まだあどけなさや世の中に対しての不安もある
二十三歳の僕ら。必死に口元すら笑顔を作ってはいるものの殆ど泣き顔の彼女、
そして無理矢理にも男の意地を見せて頑張って笑っている僕、それは今でも
触れてしまえば消えて無くなってしまいそうな程、弱々しいものだった。そしてそんな
写真がいつも僕の支えだった。正確に言うとお守りに近いものだったのかもしれな
い、 確かに今の彼女と付き合い初めてからも、僕はその写真を財布の中に入れ
続けた。 けれどその写真を見ることは殆ど無かった。きっと怖かったのだろう、写真
を見ればきっとあの時の悲しみに包まれてしまうと思うことが、いつも身近にある
のに触れたくない過去、なのにそれが無いと不安に成ってしまう過去、一体その
過去というものは何だったのだろか? けれどその答えは無かった。
ただ一つ分かった事は確 かにそれは過去の出来事であり、今の僕にはもう必要
が無くなったと言う事だけだった。
 僕は全てをその封筒にしまい込み、二度と開かないように糊でしっかりと封を
した。これで僕はあの過去、そう幸子と過ごした思い出の全てを終わらせる事
が出来た。これが僕の率直な気持ちだった。僕は全ての思い出をポストに入れた。
そしてそれは二度と取り出すことの出来ないタイムカプセルの様な赤い箱だった。
 その次の日から僕の生活は変わった。見た目にはきっと誰一人分からなかった
かもしれない、けれどそれは確かに僕の中では大きく変わった。
 まず変わった事はなんと言っても今まで突っ掛かっていたものが無くなった事
だった。 それは僕があの大きなクリスマスツリーの前で別れてから、ずっと今まで
心の中に存在していたモノ。けれどその複雑に絡み合った気持ちは封筒をポスト
に入れた瞬間に消えた。これで今の仕事や今の彼女に対しての気持ちが少しは
変わるはずだった。暮れていく街、 あせていく思い出、それは当たり前の事だった。
けれど数週間の後にはそれはまた違ったモノに変わって行った。
やはり一通の手紙によって・・・。

 幸子から二通目の手紙が届いたのは僕が手紙をポストに入れてから数週間後
の事だった。 僕は前より少し充実した気持ちで仕事場を後にして家路に着いた。
広子との間には目立った進展は無かった代わりに、後転も無かった。もし幸子から
の一つ目の手紙が無かったとしたならば、もしかすると今頃はあのわだかまりの為
に広子と別れていたのかもしれない、けれどわだかまりの無くなった僕は広子との
仲を少しは前向きに見られる様に成った。だからある意味幸子からの一通目の
手紙は、僕の人生を変えたのかもしれない。それはあきらめに似たものが僕を
救ったのかもしれない、少なくともその時は僕はそう思っていた。
十一月も半ばを過ぎたそんな時だった、僕が幸子からの二通目の手紙を受け
取ったのは。
 僕はポストの中で前回の堅っ苦しい封筒とは違った可愛らしい封筒を見つけた。
封筒こそ違ったけれど送り主は前回と同様、長村幸子からだった。僕は一体その
意味が何なのかはじめは分からなかった。確かに前回の手紙で彼女は最後のと
うたっていた。けれどそれは今は二通目の手紙を受け取った僕には何の意味も
無い言葉になった。それと同時に僕の最後のと言う言葉もきっと意味が無くなる
のだろう。そうなってしまうとこの数週間のスッキリした気持ちは振り出しに戻って
しまう。いや、内容によってはこの四年間と言う期間でさえ振り出しに戻ってしまう
事だってあり得た。僕はそんな複雑の気持ちの答えを探すために幸子からの
二通目の手紙を読んだ。

 和幸へ
お手紙ありがとう。この前最後の手紙と書いて置きながら、また手紙を書いてしまい
ました。和幸からの手紙を読んでしまってから、どうしても書かずにいられなく成って
しまったのです。ごめんなさい。もしこの手紙が和幸にとって迷惑なモノだとしたら
そのまま捨てても構いません。けれど結婚を前にすると人はハッキリさせたい事や
不安が出てくるものなんです。だから私はこの手紙が一体何の意味を持つかも
分からないまま書いてしまいました。その事をはじめに申しておきます。
和幸からのお手紙読みました。そして和幸の事が少し理解できました。けれど何故
だか和幸の事が理解出来れば出来るほど、私の気持ちは複雑に成りました。
一体なんでなんでしょうね、私たちの恋は確かに四年前に終わったはずなのに、
けれどもう戻れないと思えば思うほど悲しく成ってしまうのです。和幸の手紙に
書いてあった様にきっと人は弱い生き物なのですね、だから手の届かない過去
よりも、手の届く現在に満足しようとしてしまうのかもしれません。今思えばあの頃は
本当に幸せでした。今の和幸は幸せですか? 私は正直言って分かりません。
けれど私はきっと美しい過去より現在を選んでしまうでしょう。
だからと言って今の生活に不満がある訳では無いのです。ただ分からないだけ
なんです。 もしも和幸が幸せならば、きっと四年前に別れた事に意味があった
のかもしれません。けれどもしもそうでないのなら、一体あの時別れた事に意味が
あったのでしょうか? ごめんなさい。
こんな事を書くと和幸を混乱させてしまうかもしれませんね。
けれどこれだけ は分かって下さい。私は和幸に答えを求めている訳でも、和幸に
なんとかしてもらいたい訳でも無いのです。ただ幸せに成って欲しいんです。
ただそれだけなんです。和幸は幸せですか? 
PS
私は一ヶ月の後にはきっと結婚します。けれどそれまでに答えを出したかっただけ
なんです。自分の選んだ人生に後悔しない為に。この手紙が迷惑だったら処分
して下さい。それではさようなら。

 僕は手紙を読み終えて大きな溜め息を付いた。そしてそれが率直な気持ち
だった。僕は答えを探す為に手紙を読んだ。けれど読み終えた僕には答えなど
無く、ただ疑問と問い掛けだけが残った。和幸は幸せですか? 幸せ? 一体
なんて答えれば良いのだろうか?
不幸と言えば嘘になる。けれど幸せと言うにはそれもまた違うモノだった。確かに
幸子の言っていたあの頃は幸子がそうであった様に、僕にとっても幸せを感じて
いた。 けれど今はその気持ちは明らかに違うモノだった。それは年を重ねて、
その中で色々な経験を積んだせいもあるのだろう。幸せの形と言うモノはいつも
形がハッキリしないものだから、それは当然の事なのかもしれない。それに比べて
過去というモノはそれが遠く離れて行けば行くほど美しいまま形を変えないモノ
だった。 だからこそ結婚を前にした幸子が不安に成る気持ちは分かった。
もし僕が幸子と逆の立場ならきっと同じ気持ちに成っていたと思う。
けれど一体この僕に何がしてあげられるのだろうか? 今にも潰れそうな会社で
あくせくと働き、心の弱さで目先の欲望に目を奪われる様なこの僕に、自分自身
の幸せすら分からないこの僕に一体何がしてやれると言うのだろうか?
きっと頑張れよ、と言う言葉を口にした所で意味は無いのだろう。ましてや映画
卒業の時のダスティン・ホフマンの様に、結婚式に飛び入りして彼女をさらって、
恋の逃避行をする程の勇気も無い。やはりこれは彼女自身の問題であって、
彼女自身が解決しなくては成らないのだろう。もしも僕がしてあげられる事と
言ったら、きっと自分自身に自分自身が答えを出すことだけだった。
僕は夜十二時を回ってはいたが、現在の恋人の広子に電話を掛けた。広子は
一人暮らしをしていたので夜遅くの電話には気を使うことは無かった。そしてベルは
四、五回成ってから眠そうな声で広子が電話口に現れた。
「もしもし」
「広子か? 俺だけど、ひょっとして寝てた?」
 そんな僕の問いに広子は少し不機嫌な声で言った。
「今何時? もう今日は疲れたから早めに寝たの、で何か用?」
 けれど今さっきまで美しい思い出の世界居た僕にとって、そんな広子の不機嫌
そうな声は限りなく不快なものに聞こえた。
「いや、用って言う程のものじゃ無いんだけど、何となく声を聞きたくて」
 広子は明らかに普段口にしない僕のそんな言葉に不信感を抱いている
ようだった。
「珍しいわね、和幸がそんなこと言うなんて、何かあったの?」
「いや、何もないけどただ何となく俺達って一体なんなのかな? と思って。
ところで広子は俺のこと一体どう思っているだ?」
「どうって言われてもねえ・・・」
 まあ広子の気持ちも分からなくは無かった。確かに夜の夜中に急に電話が
鳴って、 私の事どう思っているの?
と聞かれれば僕だって同じ事を言っていたに違いなかった。けれど今の僕には
どうしても確かめて置かなければ成らない事もあった。
「いや例えば好きとか、愛しているとか」
 広子は少し考えてから答えた。
「そうね、愛してはいるわ、けれどそれが聞きたかっただけなの?」
 広子のその言葉には何となく仕方なくといった類のものがあった。けれど僕は
ここでその言葉に満足しているわけにはいかなかった。
「なあ、例えばこの先の事を考えた事はあるか? 例えば結婚とか」
 今度は彼女は僕のその言葉に溜め息を付いた。
「ねえ、急な話だからなんて答えていいか分からないけれど、今はそんな時じゃ
無いんじゃないかしら、私も会社で経理をしているから良く分かっているけれど、
正直言って今の会社はかなり厳しい状態なの。もしかしたらここ数ヶ月の間には
職場を失う事だってあるのよ。
そんな不安定な時期に結婚なんてとても考えられないわ」
 彼女の言っている事は何一つとっても間違いは無かった。けれどそれは逆に
僕にとっては望んでいた答えとは大きく違うものだった。それから僕らはたわいも
ない会話を少しだけ交わして電話を切った。
そして僕はやはり大きな溜め息を付いた。
 確かに彼女の言う様に今はそんな事を考える余裕なんて無いのかもしれない、
けれどだからこそ今彼女の言葉が僕には必要なのかもしれなかった。
彼女は確かに「愛してはいるわ」と言った。けれど逆を言えば、
愛してはいるけれどでも・・・・。
僕はそこまで考えてやめた。その先は考えなくても分かっていたし、今の僕には
その言葉はとても耐えられない言葉だった。一体幸せと言うモノは何処に存在
するのだろう。四年前は幸せだった?
確かに四年前は幸せだったのかもしれない。けれど僕はその幸せを捨てた。
きっとそれは今だからこそ幸せだったと言えるだけの事なのかもしれない、
もし本当に四年前が幸せだったとしたならば何故僕はそれを捨てたのだろう。
そう考えるとそれは架空の出来事であり、触れる事の出来ないガラスのショー
ケースに入れられた美しいバラの花の様に感じられた。だからこそ僕らはその
二度と触れることの出来ない思い出というものを美化し、そして執着してしまう
のかもしれない。そう思えばなおさら幸子の不安な気持ちは理解でき た。 けれど
それを理解すればする程、逆に彼女にかける慰めの言葉は見つからなくなる。
きっと僕自身も今の暮らしに不安があり、そして過去と言うものに執着してしまう
のだろう。けれどそれは生きて行く限り繰り返すものなのだ。四年前僕らがあの
大きなクリスマスツリーの前で感じた、理想と現実のギャップの様に。僕は宛ての
無いまま幸子に手紙を書くことにした。けれどその前に確認しておかなければ
成らないことがあった。
 僕は翌日僕と幸子の共通の友達に電話を掛けた。そして三人目にしてやっと
その答えに辿り着いた。
「もしもし、あの良江さんと同じ中央大学だった遠藤と申しますが・・」
 僕のその言葉の途中で良江はすぐに答えた。
「あっ遠藤くん! 久しぶりだね」
 今井良江とは昔僕と幸子がまだ付き合っていた頃、僕と幸子と良江と良江の
彼氏と四人で、良くドライブやバーベキューに行った仲だった。そしてそんな良江
の声もやはり四年ぶりに聞く声だった。
「良江か? 覚えてた?」
「覚えているわよ。幾ら歳をとったからって、まだ呆けるには早いわ。
ところでどうしたの? 急に電話なんてしてきて」
 あまりにもその唐突な質問に僕は戸惑いながら答えた。
「あっ、いや幸子の事なんだけど・・・」
 良江はしばらくその意味を考えて、自分で勝手に解釈をしたのだろう。
あわてる様に応えてきた。
「ああ、ひょっとして遠藤君の居場所教えちゃったこと? いやあれは金山くんから
遠藤君が東京に戻って来たって聞いて、それで幸子に教えちゃったんだけど、
まずかったかな?」
「いや、それは別に構わないんだけど。ただちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたい事って、もしかして」
 良江はそこまで言って口をつぐんだ。 きっと結婚と言う言葉を飲み込んだ
のだろう。 それはもしも僕が知らなかったら言う考慮を考えての事なのだろう。
けれど僕は全てを知っていた。
「いや、結婚の事は知っているよ。彼女直接俺の所に招待状を送って来たから」
 良江は少しホッとした様な声に成った。
「そう、直接ね。でも幸子もなに考えているのかねえ、元恋人に結婚式の招待状
を送るなんて」
「いや、それ自体は別にいいんだ。俺達は別に嫌いに成って別れた訳じゃ無い
から。だからきっと彼女としても、友達として送っただけの事なんだと思うから」
「そうね、ごめんなさい。別に嫌いに成って別れた訳じゃ無かったんだったものね。
むしろ好きすぎて別れたのかもしれないね。私はあの時は正直言って遠藤君と幸子
の事を理解できなかった。けれど今に成ってみると何となく理解出来るの、きっと
好きなだけじゃ恋愛は出来ないんじゃないかって」
 良江のその言葉には実感がこもっていた。確かに僕らは愛し合っていた。
けれどその愛の重さが重いほど現実の僕らは苦しんでいた。そしてその苦しみ
から逃れる為に、僕らは別れという一つの選択肢を選んだに過ぎなかったのかも
しれない。 良江の言う事は的を得ていた。
好きなだけじゃ恋愛を続けることは出来ない。
四年前の僕らの様に。
「そうだね。好きなだけじゃ恋愛は出来ない。けれど好きじゃなければやはり結婚
は出来ないんだよな」
「まあそうね。まあでも幸子の場合、好きと言う事とそれ以外のモノも手に入れた
って事なのよ。まあ元彼氏にこんな事言うのもなんだけど、旦那になる佐々木さん
は幸子にとってもったいないくらいの人よ」
 良江のその言葉に僕は答えを見つけた。幸子に手紙を書く前に佐々木信雄、
彼自身の事を理解しなければ成らなかった。そして佐々木信雄と言う人間は
良江が言うにはこう言う人物だった。
 年齢は幸子の手紙に書いてあった様に、僕らよりも五つ年上の三十二歳、
一部上々企業の課長。まさに誰もが憧れるエリート、そしてそんな人に出会えた
幸子は絵に描いた様な玉の輿、そして性格は良江も二、三度しかあって居ない
のでそれ程詳しくは分からないが、会った印象はとても優しい人柄だと言う事で、
顔は個人差もあるのでとしつこいくらいに念を押しながらも、良江的には僕よりも
男前だと言うことだった。そこまで言われてしまうと非の打ち所は無くなる。
けれどそんな誰もが憧れるシンデレラストーリーに幸子は幸せかどうか分からない
と言っていた。それだけは僕の知っている事実だった。
「なあ良江、幸子は幸せなのだろかな?」
 僕はその答えを第三者の良江に求めた。良江はその意味をはじめのうちは理解
出来なかったみたいだったが、しばらくして答え始めた。
「そうね、正直なところは私も分からないわ。表面的には幸せそうに見えるけれど、
三年前までは遠藤君と別れた事に後悔していた事も事実だしね。でも結婚を
選んだって事はきっと幸せなのよ。まあ少なくとも私なら幸せだと思うだろうな、
やっぱり結婚は恋愛と違って好きなだけじゃ出来ないし、そうね生活の事を考えると
やっぱり経済的な事も考えないといけないしね」
「経済的ね・・・」
 確かにそれは言える事だった。好きで恋愛は出来るけれど、好きなだけじゃ結婚
は出来ない。そう考えると広子の言っていた事も理解できる。けれどなら何故幸子
は分からないと書いてきたのだろう。良江の言う事が正しければ、顔は良く、性格
も良く、そして何よりも経済的には最高の条件のはずなのに。
「まあ何はともあれ、応援してあげようよ。幸子が幸せに成ることを」
 それから少しのたわいもない昔話をして良江は電話を切った。幾つかの答えと
疑問点を残したままで。
 僕は部屋の窓から見える街の明かりに目をやった。微かに見える街は一ヶ月も
早くすでにクリスマス一色といった様に、何処もかしこもイルミネーションで埋め尽く
されている。
そしてそれは僕らが別れてまる四年が経つ一ヶ月前でもあった。
 次の日に僕はやはり宛ての無いままに幸子宛に手紙を書いた。

 幸子へ
君からの二度目の手紙読みました。正直言って僕も君と同じ様に複雑な気持ち
です。だから何かアドバイス的な事を言ってあげたいのですが、何をどう言ってあげ
れば良いのか分からないのが本音です。幸子は手紙に自分が幸せかどうか分から
ないと書いていましたね。やはり僕もそれは同じ気持ちなんです。けれど僕はこう
思うのです。それは多分幸せと言うモノに形が無いからなんじゃないかと。
確かに四年前の過去というモノは変わることの無いものだから、形がハッキリして
います。 けれど現在というモノはきっと手探りの状態だから、いつでも曖昧なモノ
なのかもしれません。だから僕らはいつでも不安に成ってしまうんです。四年前を
思い出して下さい。今は美しい思い出かもしれなかったし、本当の幸せがそこには
あった様な気がします。けれど四年前僕らは本当に幸せだったのでしょうか?
もしも本当に幸せだったとしたならば、一体何故別れたのでしょう。僕はあの時に
真面目に考えて決めました。君もきっと真面目に考えてそれに応えたはずです。
きっと人は好きと言うことだけじゃ結婚は出来ないものなのです。ましてや恋愛すら
続けることの出来なかった僕たちは。今だから、いや今しか言えないからハッキリ
言います。僕は君のことを心から愛していました。そしてそれは永遠に変わることの
無い気持ちです。けれど幸せには出来ないんです。自分すら幸せに成れない男は、
きっと誰も幸せには出来ないモノなのです。佐々木さんの事は良江から聞きました。
本当の事は分からないけれど、きっと君を幸せに出来る男だと僕は思うよ。
僕があげられるモノは何も無いけど、僕が言ってあげられる事は何も無いけど、
君が幸せに成ってくれる事だけを心から祈っています。
PS
僕らが別れたことが間違いじゃないと言うことは、
君が君自身で証明出来るはずです。

〜時は静かに流れていく その中で失ってしまうモノ その中で見つけられるモノ
僕らはいつだって分かっている けれどそれでいて僕らは迷ってしまう 
時は静かに流れていく いつも僕らの知らないところで
そしてあの日の僕らの心だけをいつまでも置き去りにしたままで〜

 僕は自分の書いた手紙を何度も読み直した。それは何度かに何回かは
まとまっている様にも見え、何度かに何回かは意味不明にも見えた。けれど
補足する箇所も削除する箇所も無い、簡単に言えばたかだか何枚かの紙切れ
に書けるモノなんて決まっているものなんだ。
本当は彼女に直接会って一晩かけて話し合えばもっと分かりやすく成るのかも
しれない。 けれどそれは出来ない事だし、するべき事ではない。きっと手紙を
書いている彼女もその事は一番分かっているはずだ。多分彼女が迷いもなく
結婚に対しての決意がしっかりしていたのなら、もしかしたな僕は彼女に会うなり、
電話するなりしていたのかもしれない。
けれど彼女は明らかに迷っていた。
そしてその答えをきっと彼女の中だけに存在する、四年前の僕の残像に求めて
いるのだろう。けれど彼女の最初の手紙に書いてあった彼女自身がこの四年間
で大きく変わったと言う言葉の様に、僕もこの四年間で大きく変わった。
勿論時代も変われば環境も変わった。だからこそ永遠に変わることの無い思い出
と言う世界の中の僕に問い掛けているのだ。だからこそ僕は四年前の僕を演じ
きらなければならない。 そして幸子の問いに応えなければならない。僕は二通目
の手紙をポストにそっと入れた。
本当の幸せの意味を考えながら・・・・・。
 十二月十日、その日は朝から久々の晴天だった。あの日から幸子からの手紙
は一通も届いていない。きっと幸子は幸子なりに自分なりの答えを見つけたのかも
しれない。結婚を十日後に控えた女の子は、きっと男よりも切り替えが早いのかも
しれない。まあその辺の事は分からないが、確かに言える事は彼女からの手紙は
僕の郵便受けには無かったと言うことだった。けれど何故だか僕の心の中は複雑
な思いでいっぱいだった。僕はあの日彼女に二通目の手紙を送った。勿論それは
彼女の為を思ってであり、彼女の幸せを願ってであっての事だった。けれど何故か
今思うと本当にそれは彼女にとっての答えだったのだろうか? 僕はあの二通目の
手紙を送ってから、何度も彼女から送られて来た手紙を読み直した。
そしてある共通点に気が付いた。それは一通目の手紙の和幸の幸せだけを
願っています、と言う言葉と二通目の和幸は幸せですか? と言う言葉だった。
幸子は一体何が言いたかったのだろうか? 何故そこまでして僕の幸せにこだわる
のだろうか? 僕と彼女はあの日を境に別々の道を選んだ。だから必然的に辿り
着く幸せは別々のはず、なのに彼女は僕の幸せに自分の幸せを重ね合わせよう
としている。一体何故なんだ。その疑問が分からなければ僕はきっと本当の答え
なんて出せやしないのかもしれない。だったらきっと今の彼女は僕が思っている程、
結婚に対して素直な気持ちで向かい入れる事が出来ないんじゃないだろうか?
確かに彼女からの手紙は送られて来ない、けれどそれは彼女が答えを見つけた訳
でも無ければ、結婚に対しての心の切り替えが早いわけでも無い。きっと彼女は
今もまだ答えを探し迷い続けているのかもしれない。僕の宛てのない手紙の為に。
 その夜僕は夢を見た。それは彼女(幸子)とまだ付き合っていて、一番楽しかった
頃の夢だった。
 僕らは河原の丘の上に座り、河原で野球をやっている少年達を見つめていた。
そして彼女は僕に言った。
「ねえ、運命ってあるのかしら?」
「運命?」
「そう、運命。私たちがこうして出会ったのは偶然だったのかしら、それとも
運命だったのかしら」
 僕はその時はその事が良く分からなかった。けれど今は分かっている。
「運命なんてモノはきっとこの世の中には存在しないんだ。だってそうだろ、君が俺と
付き合っているのは初めから決まっていた事なのかい? 少なくとも俺は違う。
俺が君と付き合っているのは定めでも無ければ、運命なんかでも無いんだ。
俺が君と付き合っているのは俺はただ君と一緒に居たい、そして君と一緒に幸せに
なりたい、ただそれだけの理由なんだ」 
 確かに僕はそう思っていたし、そう言った。君と一緒に幸せになりたいと。
けれど僕らは別れてしまった。夢の続きは無いままに。
 僕は目覚めた時にほんの少し幸子の言っていた意味が分かった気がした。
そしてその意味は三度目の、これが本当に最後となる手紙の中にあった。
 幸子からの三度目の手紙が届いたのは結婚式を五日後に控えた。
十二月十五日に届いた。

 和幸へ
この手紙は本当に和幸へ送る本当の最後の手紙です。だから私の全てを書き
ます。 私は間違いなくもうすぐ結婚します。勿論結婚に対して不安はありますが、
後悔はしません。これは昔和幸が言った様に、運命でも無ければ、定めでもあり
ません。これは私自身で決めたことなんです。だから絶対に後悔はしません。
私は今までの二通の手紙で和幸を混乱させ、迷惑をかけてしまったかもしれま
せんね。だけどこれだけは分かって下さい。
この結婚を私が自分の意志で決めたように、四年前も私たち自身の意志で
別れを選んだのですよね。この前の和幸の手紙に書いてあった様に私も和幸の
ことが好きでした、そしてその気持ちは今も変わっていません。なのに四年前あの
大きなクリスマスツリーの前で和幸と別れることを決意し、そして今新しい男性との
結婚を決意したのです。和幸は覚えていますか? あのクリスマスツリーの下で
交わした約束を。私はずっと忘れないでいました。そしてこれからも忘れることは
無いでしょう。あの日私たちが選んだ道は、決して間違いじゃ無く正しかった事を
私は信じたかったのです。和幸は覚えていますか? あの日の約束を。
私は絶対に忘れません。だから和幸も絶対に忘れないで下さい。
PS
本当に今までありがとうね。和幸からもらったモノ沢山あったね。
私はその一つ一つを絶対に忘れません、だからその為に幸せになります。
さようなら

長村 幸子

 僕はその手紙を読んだ。その手紙の幾つかには涙の痕で滲んでいる箇所が
幾つもあった。 そしてそれを読み終えた僕の涙はその箇所を少しだけ増やした。
それは悲しい涙なのか、 悔しい涙なのか、それとも嬉しい涙なのか僕には分から
なかった。ただ心が自然ともたらした生理現象だった。僕は彼女からの最後の手紙
を読んで答えをやっと見つけたんだ。彼女は後悔なんてしない、ましてや自分の
幸せを考えていなかった訳でもない。彼女はひたむきに幸せを探し続けて
いたんだ。 僕との別れを無駄にしない為、そして僕との約束を果たす為に。
なのにそれに比べて僕なんて幸せを認めようとはしなかった。それどころか幸せを
否定すらしていたんだ、目の前に幸せの鍵があるにもかかわらず。 
 四年前僕は最後のデートをした。その日はどんよりとした天気であるにも
かかわらず、 街はクリスマス一色だった。けれどそんな陽気なイルミネーションや
音楽すら僕らには切なく感じた。目の前には恋人達が楽しそうに歩いている。
けれど僕らは手こそ繋いでいたものの、心をつなぎ止めるモノでは無かった。
笑顔の溢れかえる街中、笑顔の無い僕ら、それはあまりにも対照的で僕らを孤独に
させるには十分すぎるものだった。僕らは横浜の街を歩きそしてランドマークタワー
に辿り着いた。そしてそこが僕らの恋愛の終着駅だった。僕がまだ付き合い始めた
頃に幸せに成れる指輪だよと言って送ったプラチナのリングも、その日ばかりは
なんの効果も無かった。何の為に持っていたか分からないカメラ、そして何の為に
撮ったか分からない最後の写真。僕らの思い出は僕が言った「俺達嫌いに成って
別れるんじゃないんだから今以上に幸せに成らなきゃ意味が無いんだぞ。
俺は成る、だからお前も絶対に幸せに成ると約束してくれ、いいな」 と言う言葉で
その全てを終わらせた。そして四年後彼女は幸せを見つけた。
なのに僕はこの四年間一体何をしていたのだろう。全てを捨てて会社の言いなりに
成ったのに、ただ田舎暮らしが嫌に成ったと言う理由だけでその会社を捨てて東京
に逃げる様に戻って来た。そして時代のせいだと言い訳をしながら妥協して就職
した職場ですら満足に成れず、しまいにはそこで出会った広子とでさえ幸せの形
を見い出せずにいる。こんな僕が何であんな偉そうな事を言えたんだ。あの日
全てを捨てた事に意味がなかったのは幸子なんかじゃなくて、むしろ僕の方だった
のかもしれない。会社が悪い? 時代が悪い? 広子とは価値観が違う? 
何を言っているんだ。 それは全て自分で決めた事だし、自分で選んだ道じゃ
ないか。 なのに僕はいつだって周りのせいにして来た。それに比べて幸子は常に
自分で選んだモノを受け止め、そして幸せをひたむきに求めて来た。
彼女が書いてきた三通の手紙は彼女が自分の為に書いたんじゃ無くて、まさしく
僕の為に書いた手紙だったんだ。
それを知った時に僕の心は言葉を失った。

〜約束を交わすのに言葉なんて要らない 約束を果たすのに言葉なんて要らない
だって心と心をつなぎ止めるには だって幸せになる為には
               言葉なんていつだって無意味なモノなのだから・・・〜

 十二月二十日、その日は確実にやって来た。良江は二日前に僕の家に電話
を掛けて来て、僕にちょっと覗く位してあげれば? と言って来たけれど僕はそれを
断った。その理由は別に行きづらいとかそう言うモノでは無かったけれど、僕はその
誘いを断った。その代わりに僕は広子に久しぶりのデートに誘った。広子も初めは
そんな僕の急な誘いに戸惑いを見せていたが、心のそこでは嬉しかったのだろう。
最後の方には嬉しそうにその誘いを受け入れてくれた。そして僕らは桜木町の
JRの改札口で待ち合わせる事にした。
 その日は朝から透き通る程の青空が覗き込んでいて、結婚式、そしてデートには
最高の日和だった。僕は広子との約束の五分前に着くようにしたけれど、広子は
すでに約束の場所で僕が来るのを待っていた。きっと余程嬉しかったのだろう、
それは普段よりも綺麗な洋服や、普段見せない笑顔を見ればその気持ちは
すぐに伝わった。
「ごめん、ひょっとして待った?」
 僕のその言葉に広子は首を振って「私も今さっき来たところよ。でも和幸がデート
に誘ってくれるなんて何ヶ月ぶりかしら」と言った。
「そうか、そんなに経つのか、でもこれからはしょっちゅうデートしような」
 そんな僕の言葉を信じられないとでも言いたそうに「ほんとうに?
 まあ無理をしない程度にね」と言った。
「ところで、今日は何処に行くの?」
 広子のそんな問いに僕は言った。
「いや君に見せたいものがあるんだ。ランドマークタワーの中にある大きなクリスマス
ツリーをね。でもその前にちょっとポストに寄っていいかな」
 僕はそう言って駅の近くのポストを探した。ポストは大きな通りを挟んで反対側
にポツンとあった。僕はそのポストの前に立ってセカンドバックから一枚の封筒を
取り出してそれをポストにいれた。ポストの中は日曜日と言う事もあって空に
近かったのだろうか? 僕の入れた封筒は長い時間を掛けてポストのそこにポトリ
と落ちた。 その微かな音を確認すると、僕はクルッと反転し広子の手をしっかりと
握った。 半年ぶり位に握る広子の手、広子も久々に握られた手が嬉しかったの
だろうか、 僕の手の感触をしっかりと確かめる様にほんの少し強く握り返してきた。
そして僕らは走り出した。きっと僕は幸せに成られる。
それはほんの少し後に成るかもしれない、けれどきっと広子も分かってくれるさ。
そしていつの日かそれを受け止めてくれるだろう。
今日を境に変わった僕の事を・・・。
 街はクリスマス一色に染まっている、僕はこの季節を何度も繰り返す、
そしてきっと何年か後にこの今日と言う日もやがて思い出に変わるのだろう。
けれどその日に僕は後悔しない為に今日を過ごす。
何年か後の今日という言う日を後悔しない為に・・・。

拝啓
幸子様
結婚おめでとう。君は僕との約束を果たしたんだよね。今度は僕の番です。
僕は今幸せをしっかりと握りしめています。勿論不安は沢山あるし、苦労も沢山
あります。 けれど僕は幸せに向かって歩いています。一歩一歩遅いけど、
それは確かに近づいています。
幸子、君は幸せですか? 僕は幸せです。
PS
約束果たそうな。あの日の僕らに意味があり続けるために・・・・。    遠藤 和幸

 正直言ってこの最後の手紙が彼女にとって、一体どう言うモノに成るかは僕には
分からない。けれど僕らがあの日に誓い合った約束が無駄に成らない為にも、
彼女は彼女なりに、僕は僕なりに幸せに成らなくて成らない事だけは分かっている。
そしてそれがあのクリスマスツリーの前で別れた本当の意味なのだから・・・・。

〜Letter それは言葉では表せられない気持ち 
 Letter それは過去と現在をつなぎ止めるモノ
 Letter それは美しい思い出 
 Letter それは永遠と変わらない思い出の一ページ
 Letter きっと僕たちはいつの日か気付くはずさ あの頃零した涙と同じ箇所で
                              同じ涙を零すことに〜